デンマークデザインの巨匠

Tapio Wirkkala / フィン・ユール

1912年、コペンハーゲン生まれ、王立芸術アカデミーで建築を学び卒業後、後にコペンハーゲン国際空港、デンマーク放送協会ラジオ施設などを手掛けたヴィルヘルム・ローリッツェン(Wilhelm Lauritzen)の建築事務所に入りました。その傍ら家具デザインも積極的に行っていきます。建築学を専攻していたフィン・ユールは確かな知識も持つ家具マイスターとは異なり、当時の彼のデザインは形状のユニークさが先行し家具構造の脆さを感じさせるものがありました。しかし彼は優秀な職人ニールス・ヴォッダー(Niels Vodder)とパートナーと組むことでそれは独創的という特長となった上、加工が難しいとされたチーク材を主要素材と扱うことにも成功しました。その後二人は多くの傑作を生み出すことになります。1940年ペリカン・チェア(Pelican chair)、1941年ポエト(Poet)と相次いで発表、彫刻を思わせる有機的な曲線で構成させる椅子は斬新で、当時デンマーク国内での評価は低いものでした。それが一転したのは戦後復興で巨大な重要が生まれたアメリカでのデンマークをはじめとするスカンジナビア作品への評価の高まりでした、フィン・ユールの椅子は絶賛され、ミッドセンキュリー期のアメリカではデンマークデザインの代名詞とされました。独立をした1945年に発表したイージー・チェアNo.45(Easy Chair No.45)
は「世界で一番美しい肘掛を持つ椅子」と呼ばれる名作とされる椅子で彼の名前を不動にしました。その後国連ビル施設の一部を手掛け(通称フィン・ユールホール)世界中に広まり、デンマーク国内での評価の高まりにもつながりました。建築、照明、家具、テーブルウェアなどの設計で多くの才能を示したデンマークデザイン界の巨匠の一人です。

Pelican Chair / ペリカン・チェア (1940)

ペリカンが翼を広げた形に似ていることから名付けられました。背もたれと肘掛部分が一体化した柔らかなフォルムが身体を包み込み、低い座面でプライベートな空間を作りあげます。外観のユニークさ以上に機能的な椅子としてファンが多い作品です。

Easy Chair No.45 / イージー・チェアNo.45 (1945)

世界で一番美しい肘掛を持つ椅子と呼ばれ、エッジはナイフのように薄く研ぎ出され、優美かつ流麗なカーブで構成されるアームが特徴です。

Kaare Klint / コーレ・クリント

1888年、コペンハーゲン生まれ、デンマークの近代家具の父と呼ばれ、デンマークデザインを築いた重要なデザイナーの一人です。1924年より王立芸術アカデミー家具科の初代教授を務め、影響を受けた教え子たちはクリント派と呼ばれ、オーレ・ヴァレンシア(Ole Wanscher)、ボーエ・モーエンセン(Børge Mogensen)らデンマークモダンデザインの旗手たちが名を連ねています。「デザインソースを過去の名作に求め、現代生活にリデザインすることは有効」とする「リ・デザイン」を提唱したことでも知られており、彼自身1927年プロペラスツール(Propeller Stool)、1933年サファリチェア(Safari Chair)など優れた作品を残しました。またコペンハーゲン家具職人ギルド展示会への協力を行い、マイスターとデザイナーのコラボレーションを積極的に支援し、デンマーク独特のデザイン環境作りに貢献しました。(ハンス・J・ウェグナーとヨハネス・ハンセン、フィン・ユールとニールス・ヴォッダーなど多くのパートナー活動に結びついています。)デザイナーに社会貢献を意識させるなどデンマークのデザイナーの教育の面でも大きな貢献を行いました。

Faaborg Chair / ファーボーチェア (1914)

ファーボー美術館のために設計した椅子です。チッペンディール様式の椅子をリデザインしモダン家具として再生させました。

Safari Chair / サファリチェア (1933)

イギリスがインド統治時代に使用していたコロニアルチェアをリデザイン、この作品も持ち運びを考えて、軽量化と組立式がとられており非常に実用的な椅子になっています。

Børge Mogensen / ボーエ・モーエンセン

1914年、オルボーで生まれました。1934年、20歳でマイスターの資格を獲得し家具職人としてのキャリアをスタートさせ、コペンハーゲン芸術工芸大学に入学。その後王立芸術アカデミー家具科に在籍するなど家具デザインを学びました。デンマーク近代家具デザインの確立者であるコーレ・クリントに師事したことで、生活のための美しく良質な家具を論理的かつ堅実なデザインで仕上げるということがモーエンセンの特徴となっています。また1942年からはコーレ・クリントに推薦されデンマーク協同組合連合会(F・D・B)の開発責任者に就任。ここで彼は自分のデザインコンセプトとあうシェーカー様式の家具に注目するようになります。これは師でもあるコーレ・クリントの「デザインソースを過去の名作に求め、現代生活にリデザインすることは有効」とする「リ・デザイン」の考えに共鳴したためとされています。シェーカー様式とは18世紀後半から19世紀前半にかけてアメリカのシェーカー教徒によって作られた家具様式でです。直線が多用され、装飾は排除したシンプルで実用的な機能性を重視したつくりで、モーエンセンは非常に魅かれたようです。1947年シェーカーチェアーをアレンジした「J-39」を発表。独立した後も大衆のために安くて、堅実で、美しい家具を作り続けました。

J-39 / ジェイ-39 (1947)

F・D・Bからの「市民のために安価で良質な椅子を設計してほしい」という依頼に対し完成させた椅子で、リ・デザインを忠実に実践した作品といわれています。戦後間もない時期で物資も限られた中、足りない人手はF・D・Bの工場の近隣住人に歩合制で手伝ってもらうなど徹底した低コスト化を図って作られました。

Arne Jacobsen / アルネ・ヤコブセン

1902年コペンハーゲンで生まれ、北欧モダニズム建築の旗手として近代デンマークデザインの礎を築いた建築家です。1927年王立芸術アカデミーを卒業後、建築事務所に入りました。1930年代はベラヴィスタ集合住宅など手がけながら、多くのコンペで賞を勝ち取っていましたが、第二次世界大戦が始まりデンマークがドイツの侵略を受けるとユダヤ系であったヤコブセンは中立国であったスウェーデンへの亡命を余儀なくされるなどありました。1952年ノボノルディスク社の社員食堂用の椅子として設計されたアントチェアを発表、あまりに斬新なデザインで当初は批判も多かったようです。1956年に竣工したデンマーク初の高層ビルであるSASロイヤルホテル(現・ラディソンブルーロイヤルホテル)では建物の設計からインテリアデザイン、照明器具、テーブルウェアなどを手掛けその地位を不動のものとしました。

Ant chair / アントチェア (1952)

背もたれの形と足の形状が蟻に見えることからアント・チェアと呼ばれました。背もたれと座面はプライウッドによる一体型でスタッキングを可能とする非常に機能的で美しく、今やデンマーク家具の代名詞ともいわれるほど知られる椅子です。1955年には後継モデルとして名作として名高いセブンチェアが発表されています。

Egg chair / エッグチェア (1956)

SASロイヤルホテルのロビースペース家具として設計され、硬質発泡ポリウレタンを体を包み込む卵のような有機的な形状にして、回転式のアルミ製の脚をつけたもの。その形状は座った人間のパーソナルスペースを作り出すことを意識して生み出されており、ヤコブセンの代表作の一つです。

Hans Jørgensen Wegner / ハンス・J・ウェグナー

1914年トゥナーで生まれました。1931年、17歳でマイスターの資格を獲得し、その後親交が深かったボーエ・モーエンセンと知り合うことになる、コペンハーゲン美術工芸学校で家具を学びました。自らもマイスターであり木材への造詣の深いウェグナーでしたが、それゆえに優れた職人の力が必要なことを知り抜いていました。コーレ・クリントが企画したコペンハーゲン家具職人ギルド展示会へ参加の際は、優れたマイスターであるヨハネス・ハンセンとのパートナー活動を通じて生まれた作品を出展していました。木の特性を知るマイスター気質のデザイナーであるウェグナーは、人を魅了する細やかなフォルムとしっかりした造りを融合させた優れた椅子を多数発表。その功績で1984年にはデンマーク女王よりナイトの称号が授与されました。

Y Chair / ワイチェア (1950)

背を支える支柱がYの字に見えることから呼ばれました。全体が美しく緩やかな曲線で構成され非常に優雅なデザインです、そのデザインルーツは中国の明朝期の椅子とされ生涯500脚の椅子を設計したウェグナーの代表作です。