フィンランドデザイン史

独特のデザイン意識を形成したフィンランド

フィンランドは主に大多数を占めるフィン人と少数派であるサーミ人で構成されています。彼らはもともとウラル山脈の北西側から移住してきた民族とされ、他の北欧の国々と違ってヴァイキング文化の共有はありません。しかし長い冬を過ごすための室内作業として刺繍、タペストリー作り、銀や木材を使った工芸品など隣国スウェーデン同様伝統的に手工芸の技術に長けており、身の回りに存在する自然を素材にそしてモチーフとしたモノつくりが盛んでした。それが今日の自然に根ざした無駄のない実用的な、いわゆる素朴な製品を生み出すフィンランドデザインの基本になっています。

またフィンランドは12世紀まではヨーロッパ文化圏から外れた独自の文化を持つエリアでしたが、それから1917年の独立まで800年近くスウェーデン、そしてロシアの支配を受けたため両国からの影響は大きく、スウェーデンから吸収したヨーロッパ的素養とスラブ的な感覚の融合はデザインの上にも表れています。

独立と民族アイデンティティ


イギリスで起きた産業革命の波は、当時後進エリアであった北欧のしかも被支配地域であった独立前夜ともいうべきフィンランドにも到来。19世紀中頃のフィンランドは、流通や家内工業が未発達の状態で分業制を持たず個人、個人が所持するスキルに応じてモノをつくるという状態でした。産業革命による工業化、都市化の動きによりフィンランドがもつ従来のモノつくりは急速に失われ消えてゆくかと思われましたが、独立を契機に盛り上がったナショナリズムはフィンランド精神の原点ともいえる「カレワラ」をフィンランド人に再認識させ、フィンランドらしさをもつモノつくりの精神もフィンランド人の中に残り継承されることになります。

20世紀に入りバウハウス合理主義が主導するモダニズムの考え方がフィンランドにも影響を及ぼした際も、近代デザインの巨匠であるアルヴァ・アアルトはそれを受け入れながらも、自然との親和性と手工業的な要素を入れるというフィンランドらしさを感じさせるデザインを提案。それは素朴、簡潔でありながらも柔らかく人を魅了するフィンランドモダニズムの源泉となっていきました。それはパリ博覧会(1925年)など当時開催された世界博覧会でスカンジナビアモダンとして広く知られることになります。

フィンランドデザインへの国際的評価の高まり

中立の立場を望みながらソ連の侵攻を受け第二次大戦、敗戦国となりソ連への多額の賠償責任を負ったフィンランドでしたが、豊富な森林資源をバックにした製紙・パルプ工業を中心とした重工業が好調で、北欧の他の国に見られるような充実した社会サービスを持った福祉国家として順調な戦後復興を遂げます。それとあわせて1950年代からフィンランドデザインは黄金期を迎えます。

アルヴァ&アイノ・アアルト夫妻やカイ・フランク、タピオ・ヴィルッカラ、ティモ・サルパネヴァといった企業デザイナーが国際的は評価を得、フィンランドモダンデザインが世界に認知されていくようになります。フィンランドのメーカーは製品への付加価値としてのデザインの重要性を認識しており、積極的に企業コンペを開催。カイ・フランク、タピオ・ヴィルッカラ、ティモ・サルパネヴァなどもコンペの上位受賞を契機にキャリアーが始まっています。

自然の暮らしに溶け込む美しさ

今現在も多くの優れた企業デザイナーにより多くの優れた製品が発表されますが、基本的に日用品に込められた美しさを大切にしています。さらに800年にわたり他国の統治を受けた際にフィンランド人は基本的に被支配階層として均一の立場でした、そのため皆がよりよく生活するために地域コミュニティでの相互扶助を重視する考えがあります。皆が当然に使え人々にとってあらゆる観点から良いと思われるユニバーサルデザインはもちろん、古来より自然豊かな環境で生活してきたフィンランド人は自然との親和性を考えた環境に優しいエコロジーデザインを意識したコンセプトが込められています。