デンマークデザイン史

デンマーク手工業を守るマイスターたち

かつてノルウェー、スウェーデン、フィンランドを支配下に置き北欧をリードしてきたデンマークは、デーン人と呼ばれたヴァイキングの一派により起こった国です。デーン人を始めとするヴァイキングは造船製作に長けており、それを支えたものは高い木材・鉄などの加工技術でした。その技術は脈々と職人たちが伝え手工芸製品の制作に関して、当時のヨーロッパでも高いレベルにありました。またデンマークはヨーロッパ最古の王室をいだく国でもあり、王室を含めた貴族階級へ供給するための手工芸品の製作が近代まで多数行われており、その供給の担い手である職人を育てるマイスターの仕組みが今日のデンマークデザインの礎と言われています。

伝統的手工芸を近代デザインに融合させたデンマーク


ヨーロッパの社会概念を大きく変えた産業革命の波が押し寄せた19世紀後半当時、デンマークはナポレオン戦争やプロシアとの領土争いで敗れたてヨーロッパ辺境の一小国へ転落しておりましたが、酪農農業を主体とした方向へ産業をシフト、工業化に成功。ただし医療や造船など除いたイギリスが工業化に成功したその他の分野においてインフラ整備できず、競合は吸収または廃業に追い込まれる事態が発生、モノつくりの面では危機的な状況を迎えていました。

そして20世紀に入ってからの産業デザイン革命ともいうべきバウハウスに対して、北欧ロマン主義の影響(フランス革命によるナショナリズムに端を発した一種のナショナリズム運動)もあり、デンマークマイスターたちに長年守られてきた手作業を重要視した伝統的なデザインを捨て去ることはしませんでした。さらにデンマーク近代家具デザインの父とも呼ばれるコーア・クリントが1930年代に提唱した過去の伝統美に使う人間の立場に基づいた機能性と実用性を取り入れようとした「リデザイン」の考えが広まります。豊かさと効率を追求したバウハウスデザインの機能性を合わせた独自の北欧デザインをリードすることになるデニッシュ・モダンがここに誕生することになります。そしてそれはシカゴ博覧会(1933年)、パリ博覧会(1937年)、ニューヨーク博覧会(1939年)といった当時開催された世界博覧会でスカンジナビアモダンとして広く知られることになります。

アメリカ市場で大きな評価を得たデンマーク家具

第二次世界大戦後、国内市場が小さく、地下資源が乏しいデンマークは戦後復興の一環として海外にマーケットを確保する必要がありました。かつて貴族階級をパトロンとした職人たちは豊かさを意識した一般大衆が形成するマーケットを意識したモノつくりに積極的に取り組むようになったのです。

輸出用の製品への付加価値として重要視されたのはかつて高い評価を得た「デンマークデザイン」でした。特にアメリカでは戦後復興の巨大な需要が生まれてました。そこで1951年から70年まで優秀な北欧デザイナーに与えられた権威高いルニング賞を創設ことで知られる、デンマーク系アメリカ人フレデリック・ルニングがアメリカ国内で積極的にスカンジナビアのハンドクラフトを紹介。当時アメリカは近未来的なフォルムと鮮やかな色彩に加え、人間工学に基づいたミッドセンチュリーと呼ばれるスタイルの発信エリアでしたが、効率最優先の産業デザイン製品とは異なる伝統的手工業を感じさせるデンマークを初めとするスカンジナビアのハンドクラフトは新鮮に映ったのでしょう、家具を始めとする数々の作品が爆発的にヒットしました。

デザインに色濃く反映されるノーマレイゼーションの理念

またデンマーク国内では労働力の確保のため女子の社会進出が積極的に支援されました。皆が安心して社会で活動できる環境を整えるために国の役割には多くを求められましたのです。それは高齢者や障碍者のサポートを行って「誰もが普通に参加できて、普通に暮らせる社会」をつくるノーマレイゼーションの理念に繋がります。

福祉国家としての道を歩みだしたデンマークの生み出す製品にはこの理念が色濃く反映された誰もが快適に簡単に使うことができるというユニバーサルデザイン、また狭い国土を効率よく使うためすべての人と人のコミュニケートを促すバリアフリーを考えたアクセシビリティデザインの特徴がみられます。その上1970年代の石油ショックを契機に風力発電など自然発電に切り替えたことで、環境保全の意識も国民の間で高くなり環境と共生するエコロジーデザインもさらに反映されるようになりました。

現在スカンジナビアデザインとしてデンマークブランドが世界中に支持を受けている様子をみると、デザインという付加価値をつけ国際競争力をつけるという目的は達成されつつあるようにみえます。