北欧デザインってなに?

北欧におけるデザインの考え方

地理的に高緯度に位置する北ヨーロッパは夏が短く冬が長い上、日照時間が短いという特徴があります、しかも冬の間は雪に閉ざされるなど、厳しい自然環境下で生活を営んでいました。そのため快適な生活とは長く暗い冬場を過ごすことになる、室内生活レベルの向上に他なりませんでした。居心地のいい生活とは?基本的に北欧デザインのコンセプトはここにあります。デザインとは形に美しさと機能性を製作者(デザイナー)が意図して内包することで生まれるものとされています。美しさとは使ってみたい、触ってみたいという欲求を喚起しそれに機能性を付加することで使い手に満足感を与えます。その満足感は使うことにより普段の生活が一層便利になったと実感したとき生まれるものでしょう。長い暗い冬を明るく豊かな気持ちで暮らせるもの、この追求が北欧デザインにはみられます。


また従来、北欧はヨーロッパの辺境とみなされ資源が少なく生活水準は高いものではなく、産業革命にも遅れ、20世紀まではいわゆる工業化・都市化とは遠く離れた後進国エリアでした。しかし古来ヴァイキング以前の時代より、生活は質素でありながらも、身の回りに豊富にある自然素材を生活へフィードバックできる積極的な自然共存の姿勢があり、その上室内で過ごす時間が多いために伝統的に手工業が盛んかつ秀でてました。高い技術をもつ職人による機能的かつシンプルで自然素材を大切にするモノつくり、ここにも北欧デザインのベースの考えがあります。

近代デザインと北欧

イギリスで起こった産業革命は従来の生産システムを大きく変え、新素材による商品の大量生産を可能としました。当初は廉価な商品を作りだそうと生産性の向上を最重要視したため、作り出される商品に機能性・美しさなどの要素が反映されることはありませんでした。しかも生産システムも当然に未熟かつ未完成であったため製品は従来ハンドメイドで作られていたものの粗悪な模倣に近いものとなってしまい美術、工芸品と大きく差が開くことになってしまうことになりました。これを問題点として解決しようとする運動が近代デザインを確立することになる「アーツ&クラフツ運動」です。機械化による大量生産がもたらした職人を軽視する風潮を否定、熟練工の生み出すセンス、こだわりを再度見直そうとするその芸術運動は現代に続くモダンデザインの起こりとなりました。そしてこの芸術運動はバウハウスへとつながっていきます。


バウハウスとはドイツの美術学校名です。活動期間は15年ほどですが、ここでの教育理念とその実践は世界中に非常な影響を与えることになります。その目指したもにはアーツ(芸術)とクラフト(工芸)そしてテクニック(技術)の融合。つまり機械化によって生み出される日用品にアーティスト主観の美術・芸術性、そして職人もつユーザー目線の機能性を付加させることでした。


当時ヨーロッパの後進国であった北欧に産業革命に波が押し寄せてくるのは他のヨーロッパ諸国に比べて遅かったため、バウハウスが巻き起こした熱狂的なまでの合理主義的・機能主義的なデザイン潮流をダイレクトに受けることはありませんでした。18世紀より盛んだった陶器・ガラス器・そして工芸品の製造で大切にしてきた、丁寧な手作業を良しとする伝統的な職人精神を忘れることなく合理・機能性を融合。その結果北欧には、シンプルでクラフト的な温かさをもつ自然美が際立った独特なデザインが生まれました。それは今現在に続くスカンジナビアのライフスタイルを色濃く反映した、北欧デザインの基礎となっていきます。

北欧デザインの黄金期

本土を戦場としないまま第二次世界大戦を戦勝国として終えたアメリカ。経済規模、生産能力ともに他の国々の追随を許さない圧倒的な国力のもと、すぐに戦後復興が始まります。まず帰還兵が次々と家庭を持ったため、住宅・家具・日用品の需要が急速に拡大。大戦中の技術革新などが影響し大量生産の技術が確立したこともあり低コストで需要を満たすことが出来るようになり、戦後の凄まじいまでの購買欲ともあいなり大消費時代の幕開けともありました。


北欧諸国も戦後、まず国内産業振興策がとられ、外貨獲得のため大きな市場となっているアメリカ向けの家具、インテリア製品を開発、輸出を始めました。19世紀中頃から始まった北欧からの大量移民の支持と1950年代半ばに国際巡回した「デザイン・イン・スカンジナビア展」の成功もありスカンジナビア諸国のモダンデザインが注目を浴びることになります。機能的でシンプルでありながら自然の暖かさを感じさせるクラフト志向のある北欧デザインはやがて近未来的なフォルムと鮮やかな色彩に加え、人間工学に基づいたミッドセンチュリーと呼ばれるスタイルが大流行していたアメリカで受け入れ、お互いに影響しあい数々の才能あるデザイナーが世に送り出されました。